広島・宮島への旅

奈良県香芝市の英語・英会話教室、ECCジュニア高山台教室の髙桒(タカクワ)です。


当教室は今週一週間、夏休みを頂戴しておりますが、この休みを利用して生まれて初めて広島&宮島へ行ってきました。


私自身20代前半に沖縄でひめゆりの塔を訪れて以来、広島にもいつかいかねばと思っていたのですが、なぜかここまで機会がなく、でも一度は行きたいとずっと思い続けてきました。なぜか広島と宮島へは、二年ほど前に他界した義父がうちの長男を宮島に連れていきたい、と生前よく言っていたこともあり、そこにもうすぐドイツに帰る留学生くんが、最後の機会だから是非家族旅行にいくべき、と言うのでどこにいきたいのかと聞いたところ、出た候補地の中に広島&宮島がありました。


もうこれは行くしかない!


息子たちは小学校の修学旅行でどちらも広島に行っていたため反発がなかったわけでもありませんでしたが、決行しました!


到着した日の昼食には広島焼きを堪能。


そして訪れた広島平和記念公園。偶然爆心地に位置する駐車場に車を置き、早速原爆ドームへ。するとその前でボランティアガイドと思われる青年が群衆に向けて講話を行っていました。

青年の話は非常に良くまとまっていて、資料なども随時提示しながら淡々とこんなにも若い青年が原爆についての話をしている姿は清しくも逞しく、ストンと心に入ってくる感じがあって、彼の話が途切れるまでずっと拝聴しました。


こちらはこの青年の話を聞いていなかったら、見逃していたかもしれない原爆供養塔。

ここには原爆で犠牲となった身元不明の7万柱の遺骨が納められているそう。

この供養塔についてその青年は、当時遺体をそのままにしてはおけないので身元の判明しないままどんどん焼く作業をしたという方によれば、最初のうちはご遺体だと思って丁寧に運んだりそっと置いたりということをしていたけれど、あまりにも数が多く、しまいにはまるでモノを扱うかのように、ひっぱって、運んで、時には投げ捨てるように山にして、焼く、という作業を繰り返したのだ、と話してくれました。


想像するだに阿鼻叫喚の地獄絵図。


それがそう遠くない72年前、この地で、いま立っているこの場所で起きたのであり、当時そのままの状態の上から埋め立てて公園にしたために、この広島平和記念公園の地面を少し掘れば被爆した丸焦げの地層が出て来るのだそうで、実際現地では資料館の下の地面を掘る作業をしている様子でした。


またその青年は「戦争で”亡くなった”とか”犠牲になった”という言い方は果たして正しいのか」、「戦後ABCCで行われたこと」などを非常にわかりやすく説明、さらに日本はよくダブルスタンダードだと広島を訪れる外国人から彼自身が叱責されることもよくあるのだそうで、わたしたちは義務教育で非核三原則について学び、日本はそれを実践しているつもりになっていますが、その実、核兵器禁止条約には反対しているという事実をも指摘。


今一度、わたしたち日本国民が原爆というものがどういうものなのか、無辜の市民を大量に虐殺することのできる、そして幸運にも命をとりとめた人々を死ぬまで苦しめる兵器なのだということを、世界唯一の被爆国であるわたしたちがもっとしっかり考え、伝えていくことの大切さを説いていました。


そして彼は言います。この平和な世の中で、現代を生きるわたしたちが毎日まいにち原爆のことを考えろと言われても難しいかもしれない。それでも、彼のこういった活動を通してそれに気づく人、考える人が一人でも増えたら嬉しい、と。


わたしもこの機会を偶然とは思わず、今一度しっかり考えたいと思いました。


私が現地で遭遇したボランティアガイドの名は村上正晃さん、facebook アカウントのリンクを貼っておきますので、是非チェックしてみてください!


またその後に訪れた宮島も大変美しく、夏だし大したことないだろう…と思っていた牡蠣も想像を絶するサイズとボリュームで、大満足の旅となりました!


高山台教室の夏休みもこの週末でおしまいです。休みのうちに9/17(日)に実施する発表会のあれやこれを済ませ、レッスン準備も万端にして2学期のレッスンを迎えたいと思っています。こどもたちの夏休みの思い出を聞くのも楽しみ♪


高山台教室の新学期は8/21(月)より始まります!





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