香芝市の英会話教室・ECCジュニア高山台教室
講師:髙桒文子(たかくわふみこ)
◆英検準一級(2016.3取得)
◆J-shine 小学校英語指導者資格
◆児童英語授業研究講座(通称がめ研) Advanced Course 受講中(2017.7現在)
2009年4月よりECCジュニア高山台教室を開講しています
というわけでわたしの英語学習歴、大学編。もうずいぶん前…四半世紀とか??ぐらい前の話なので記憶を紐解きながらいってみます(笑
中学・高校時代のお話はこちらの記事をどうぞ。
さてさて。恩師のすすめるまま英語科の大学進学を目指し、関西外国語大学・短期大学部へ入学。第二外国語はスペイン語を専攻しました。
するとどうでしょう、そこにはミッション系スクールからやってきた海外経験豊富なネイティブレベルで英語を話すような学友もたんまり!スチュワーデス志望の子たちが圧倒的に多かったです。
しょっぱなから自信を失ったりもしましたが、高校時代にはアルバイトも体験し、その頃の奈良県最低賃金だった時給400円(驚)(いや、ど田舎でも相場は600円ぐらいだったはずで、本屋ってのは薄利でね、なかなかしぶい賃金設定でした)で働いていたこともあり、公立高校に通っていたわたしは私学の年間の学費を見てビックリ!これは1円たりとも無駄に出来ない!といきなり向学心に燃え、確か年間36単位?ぐらいを履修しなさいよという基準があって、それ以上は50単位までならご自由に履修してくださいねというシステムだったのですが、わたしはそれをフルに50単位とり、更に関係のない英文タイプやTOEFL対策クラスなんかも履修、まぁでも大学生なんて時間もたっぷりありますからね、授業はどれも楽しくて、特に英語関連のクラスは授業自体がすべて英語で行われるクラスがほとんどで、この時期に急激に英語力が伸びたのだと思われます。
英文法のクラスの先生は日本人でしたが、よく授業が全部つぶれそうなレベルで英語でものっそくさい、今思えばいろんな人生訓ですよね、それをビシバシ英語で言うんですが、これ日本語で言ったら全部恥ずかしすぎて死ぬようなクサイセリフだらけだけど、英語なら不思議と聞けるよなぁなんて思いながら聞いてたなぁ。確か江平先生と言ったっけ…(記憶おぼろげです)。
写真は確か「メディア英語研究」クラス。それぞれに興味のある記事をどこかからもってきて、クラスでプレゼンするような授業だったかなー、1番大好きなリンダ先生のクラスだったはず!ネイティブのクラスはもちろんオールイングリッシュでした。ってでも元の写真も不鮮明過ぎてホントにそうかな、よくわかりません(爆)
この写真はオーラルイングリッシュクラスの先生だったはず。就職活動解禁というその日にぐるぐるのパーマをかけて履修見込証明を事務局に取りに行ったら、あなた一体なに考えてるの!?今から就職活動でしょう!?!?とめちゃくちゃ怒られたのですが、この先生、えーと、コーリン先生?だったかな、は、いやいや日本人って画一的な髪でおもしろくないよ、きみのその髪はとても似合ってるし、就職担当者もいちころさ!みたいなフォローをしてくれたのを覚えています。なのに名前おぼろげかい!(爆
でもそうですね、この大学時代にいろんなネイティブの先生と話すことで日本で正しいとされている価値観は世界からみるとナンセンスなことも多い。もともと右に習えでみなと同じ事を同じようにやりなさい!と矯正されがちな日本の学校教育システムの中で大いなる違和感を感じていたわたしは、自分の知っている世界だけが世界じゃないのだということに触れ、この感覚は英語科に進んでいなかったら培われなかったのかなと思うので、英語科への進学を進めてくれた高校時代の恩師にはとても感謝しています。その後一度もお会いしてないですが…(苦笑
そうそう、この頃わたしの長身コンプレックスのようなものもなくなったのだと思われます。世界にでればたかだが173センチのわたしなんて小さい小さい(笑
そしてこの時期、本来自分が勉強したいと思っていた日本文学の本も色々読みました。夏目漱石の著作を図書館で借りて全部読んだり、さらに出版当時の復刻版も色々揃っていたので旧かな文字でも再度読んだりと、長い通学時間を利用して(片道二時間以上かかっていたような気がします)たくさんの本を読みました。英語版の書物に手をだしはじめたのもこの頃。(わたしが課題以外で自ら始めて読んだ英語小説の話はよかったら旧ブログをご覧下さい。)
そして在学中にバブル崩壊、4年制に編入予定でしたが、米英文学の教授(兼就職担当)から毎日の様にお前ら編入してる場合じゃない、いますぐ就職活動を開始してなんとか潜り込め!来年からは今年ほどの求人数は絶対来ない!とお経のように唱えられ続け、それもそうかと一気に進路を変えることに。就職氷河期に突入した年に、文字通り滑り込むように(笑)某メーカーに就職しました。
ちなみにその会社はわたしたちの代を最後に事務職を6年ほどそもそも募集すらしませんでしたので、この先生にも本当に感謝しています。そ、その後一度もお会いしていませんが…。
人生は短い。感謝したい人には感謝出来る内に感謝の言葉を伝えるべきですね。
はー、たまた長くなっちゃったので、この辺できりまーす。
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